長屋門跡

  
焼失前の長屋門              令和元年6月現在

      
 場所は5番目で紹介した石灯籠のある場所からだと、小山交差点から橋本方面へ向かうと左手にレストランがありそこを山側へ渡って直進したところにある。

 
      
          

 町田市に5箇所しか残っていなかった長屋門。5,6年前に火災に遭いいまは無い。
 現在の町田街道から一本山側の道が旧街道になるが、その旧街道(横浜街道)に面して萩原家の長屋門はあった。実に重厚で美しい建物で、以前は前方を流れる境川との間は、一面が桑畑だった。 またすぐそばに大きな道場も残っていた。
 三つ目の嶋崎家の養子になった調布生まれの宮川勝五郎はのちに近藤勇と名乗り、新選組局長として幕末を揺るがした武士だったが、江戸試衛館に道場を構えた頃は、度々このあたりにも出げいこで出向いていたとか・・・、そんなことを長屋門が未だあったころは想像していた。
 こういった歴史的な建造物が見れなくなったのは実に残念に思います。
 なお、この長屋門のあった萩原家は江戸時代にはこのあたりの豪農で知られており、特に有名なのは当時たびたび境川が氾濫し農民が苦しんでいたため、萩原英純(通称四郎兵衛)が私財を投げ打って護岸工事を敢行し、境川翁と称された。また千人同心にも名を連ねていたことがある。


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