氷川神社

氷川神社の開墾記念碑


所在地:相模原市清新4丁目1番5
主祭神:素盞嗚尊

 氷川神社は1843年(天保14年)、小山村の豪農原清兵衛光保が現在の相模原駅辺りから東側は相模原市役所辺り、南側は横山、西側は南橋本辺りまでの地域を開墾するにあたり、入植者の士気を高めるために、村の鎮守として創建しました。
 言い伝えによるとこの石碑の文字は江戸時代最後の将軍となった徳川慶喜公によるそうです。
 開拓当時は入植者を5組(比丘口・矢掛・横山・原・大河原)に分けたそうで、その中の比丘口組の大部分が武蔵国出身者つまり境川の北側の小山村からの人達だったようです。
 開拓はしたものの、この一帯は水が無く、わざわざ実家から水を手桶で運んだそうです。

「清兵衛新田」の名前は、1964(昭和39年)年の住居表示によって「清新」となりましたが、「大河原」「比丘口」「矢掛」などの開拓当時の組名がいまでもバス停や公園名として残っています。

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