江戸街道碑

            
          
           
       この碑の左側には「相模国日陰小山」とはっきり残っており
       境川の北側(現在の町田市小山)が「日向小山」だったと伝
       えられている。


  小山公民館の側にもある「江戸街道の碑」から真っ直ぐ北へ500メートルほど進んだところ、宮下本町2丁目に入って50メートル程先の右側にもう一つ同じ碑がある。
 高さ90センチメートル、20センチ角程の石柱が通り道に面してひっそりと立っており、一面に「此れより江戸へ十二里」片方の面には「大山へ八里」と刻まれている。当時どこにもあった街道碑は基点が日本橋であり、この地から仮に町田へ出て多摩川へ向かい当時の登戸宿から川沿いに下って二子多摩川で川を渡って三軒茶屋、目黒を経由し品川を経て日本橋のルートで測って見ると確かに48キロになる。 (1里は4キロで計算)

 大山は当時から丹沢連邦の終点である大山の権現様詣でが有名で、ここからだと現在の横山、上溝、田名を抜け厚木へ向かう大山道に入り権現様まで約32キロとなる。

 昔このあたりは甲斐の国から江戸へ向かう甲州街道や大山道などの脇道が幾つもできていたようで、道筋に立っていたであろうこれらの街道碑や道祖神、お地蔵様などがあって畑で鍬を振るう村人に声を掛ける旅人たちも居たろうと情景が浮かぶ。

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